Director's Voice ORIHICA表参道クリエイティブ・ディレクターサリーム・ダロンヴィルからのメッセージ

Voice.15 Savile Row, London 進化するスーツの聖地


ロンドン・ファッション・ウィークに登場するセレブリティたちの着こなしで際立っていたのがジャケットスタイル。正統派から個性派まで、トレンドの中に自分なりのエッセンスを加えたオリジナリティあふれるものだった。
日本では、ジャケットはビジネスマンのものという風潮がある。メンズファッション雑誌を飾るイタリアン・クラシコのスーツは、その象徴。モダンクラシックを謳い、着こなしはかくあるべきという固定観念を植え付けているように思える。イタリアンスーツが定番化する一方で、英国回帰もはじまっている。そう、時代はサヴィル・ロウへ向かっているのだ。


ここで、サヴィル・ロウにまつわる歴史を整理してみよう。サヴィル・ロウは、1965年、ロンドンのバーリントン地区開発の際に作られた通りの名称で、バーリントン氏の妻ドロシー・サヴィル夫人にちなんで名付けられた。元々は、陸軍士官とその妻たちが住んでいた場所であり、最年少にして英国首相に就任したウィリアム・ピットがサヴィル・ロウ最初の居住者と言われている。
1800年代、紳士階級にふさわしい服装は、ボー・ブランメル(本名はジョージ・ブライアン・ブランメル1778〜1840)にあるといわれ、彼こそが英国紳士と称されるようになった。ボー(Beau)は、フランス語で洒落者、伊達男を意味する。そもそも、学生時代にブランメルは、当時の皇太子(後のジョージ四世)と親友で、地味ではあるがきちんと仕立てのジャケットや着こなしたブランメルのライフスタイルや言動を皇太子がとても気に入っていた。ブランメルは、サヴィル・ロウの真髄であるウールを取り入れた高級注文服の流行を作り出し、バーリントンロードで開業しはじめたファッショナブルな仕立屋の顧客になっていた。そして、1803年までには、いくつかの仕立屋がサヴィル・ロウに紳士服店を構えはじめ、後に、高級テーラーが集まる通りになっていった。これが、スーツの聖地といわれるゆえん。余談であるが、日本語の背広も、サヴィルが訛ったものという説もある。

小さな通りの紳士服を愛する顧客は、ジョージ四世にはじまり、現在のイギリス女王までロイヤルファミリーが主体だったが、時代を経て、世界中のセレブリティたちのステイタスシンボルとなり、著名人が顧客として名を連ねることになる。例えば、ケーリー・グラント、ロバート・ミッチャム、フレッド・アステア、ビングクロスビー、フランク・シナトラなどのムービースター、映画「007」の歴代ジェームス・ボンド、ショーン・コネリー、ロジャー・ムーアのボンドスーツもサヴィル・ロウで仕立てられたもの。最近では、ジュード・ロウ、ビクトリア・ベッカム、ジョン・レノン、ポール・マカートニー、ジョージ・ハリソン、ミック・ジャガー、エリック・クラプトン、エルトン・ジョン、中には、日本の昭仁天皇も!
また、顧客だけではなく、スーツの歴史を築いたデザイナーも数多く輩出。Mr. Gieves and Mr. Hawkes(ギーブス&ホークス), Henry Poole(ヘンリー・プール), Kilgour(キルガー), Tommy Nutter(トミー・ナッター), Edward Sexton(エドワード・セクストン), Spencer Hart(スペンサー・ハート), Richard James(リチャード・ジェームス), Oswald Boateng(オスワルド・ボーテン), William Hunt(ウィリアム・ハント)など、ここから巣立ったデザイナーたちは、ヨーロッパ中で流行を作り出し、生み出した。

サヴィル・ロウの歴史を語る上で、もうひとつセンセーショナルな事件がある。それは、ビートルズの登場だ!彼らが設立したアップル本社はサヴィル・ロウ3番地にあり、名曲「Get Back」のレコーディングをここで行った。アルバム「アビーロード」のジャケットで着ているスーツは、サヴィル・ロウに由来。さらに、1969年1月30日ビートルズ最後のライブが行われた最後の場所でもあった。この流れこそがサヴィル・ロウを古典的なイメージを脱却し、ファッション、ライフスタイルにおいて流行を生み出すストリートへと変化したのだ。

スーツは、男女どちらかのための洋服ではなく、軍服として生まれ、フォーマルウェアにまで発展し、今やデニムともコーディネートできる優れたアイテムとなった。そしてあらゆるシーンにおいて、ワードローブやコーディネートの一つとしてテーラードスーツがいつも必要とされている。これは、歴史であり文化なのだ。サヴィル・ロウ。テーラードスーツの聖地を、世界は追い求め続ける。

Backnumber

ロンドン・ファッション・ウィークに登場するセレブリティたちの着こなしで際立っていたのがジャケットスタイル。

サヴィル・ロウは、1965年、ロンドンのバーリントン地区開発の際に作られた通りの名称。


サリーム・ダロンヴィル

70年代以降の英国ファッションシーン全ての目撃者であり、日本のファッション業界に深く精通している英国人。英国マンチェスター大学でファッションデザインを学ぶ。マルベリー社、マッキントッシュ社においてクリエイティブ・ディレクターを歴任。その後、英国貿易産業省(DTI)にてエクスポート・プロモーターとして数多くの英国人デザイナーやブランドの日本進出をサポートした。

Director's Voice ORIHICA表参道クリエイティブ・ディレクターサリーム・ダロンヴィルからのメッセージ

Voice.15 Savile Row, London 進化するスーツの聖地


ロンドン・ファッション・ウィークに登場するセレブリティたちの着こなしで際立っていたのがジャケットスタイル。正統派から個性派まで、トレンドの中に自分なりのエッセンスを加えたオリジナリティあふれるものだった。
日本では、ジャケットはビジネスマンのものという風潮がある。メンズファッション雑誌を飾るイタリアン・クラシコのスーツは、その象徴。モダンクラシックを謳い、着こなしはかくあるべきという固定観念を植え付けているように思える。イタリアンスーツが定番化する一方で、英国回帰もはじまっている。そう、時代はサヴィル・ロウへ向かっているのだ。


ここで、サヴィル・ロウにまつわる歴史を整理してみよう。サヴィル・ロウは、1965年、ロンドンのバーリントン地区開発の際に作られた通りの名称で、バーリントン氏の妻ドロシー・サヴィル夫人にちなんで名付けられた。元々は、陸軍士官とその妻たちが住んでいた場所であり、最年少にして英国首相に就任したウィリアム・ピットがサヴィル・ロウ最初の居住者と言われている。
1800年代、紳士階級にふさわしい服装は、ボー・ブランメル(本名はジョージ・ブライアン・ブランメル1778〜1840)にあるといわれ、彼こそが英国紳士と称されるようになった。ボー(Beau)は、フランス語で洒落者、伊達男を意味する。そもそも、学生時代にブランメルは、当時の皇太子(後のジョージ四世)と親友で、地味ではあるがきちんと仕立てのジャケットや着こなしたブランメルのライフスタイルや言動を皇太子がとても気に入っていた。ブランメルは、サヴィル・ロウの真髄であるウールを取り入れた高級注文服の流行を作り出し、バーリントンロードで開業しはじめたファッショナブルな仕立屋の顧客になっていた。そして、1803年までには、いくつかの仕立屋がサヴィル・ロウに紳士服店を構えはじめ、後に、高級テーラーが集まる通りになっていった。これが、スーツの聖地といわれるゆえん。余談であるが、日本語の背広も、サヴィルが訛ったものという説もある。

小さな通りの紳士服を愛する顧客は、ジョージ四世にはじまり、現在のイギリス女王までロイヤルファミリーが主体だったが、時代を経て、世界中のセレブリティたちのステイタスシンボルとなり、著名人が顧客として名を連ねることになる。例えば、ケーリー・グラント、ロバート・ミッチャム、フレッド・アステア、ビングクロスビー、フランク・シナトラなどのムービースター、映画「007」の歴代ジェームス・ボンド、ショーン・コネリー、ロジャー・ムーアのボンドスーツもサヴィル・ロウで仕立てられたもの。最近では、ジュード・ロウ、ビクトリア・ベッカム、ジョン・レノン、ポール・マカートニー、ジョージ・ハリソン、ミック・ジャガー、エリック・クラプトン、エルトン・ジョン、中には、日本の昭仁天皇も!
また、顧客だけではなく、スーツの歴史を築いたデザイナーも数多く輩出。Mr. Gieves and Mr. Hawkes(ギーブス&ホークス), Henry Poole(ヘンリー・プール), Kilgour(キルガー), Tommy Nutter(トミー・ナッター), Edward Sexton(エドワード・セクストン), Spencer Hart(スペンサー・ハート), Richard James(リチャード・ジェームス), Oswald Boateng(オスワルド・ボーテン), William Hunt(ウィリアム・ハント)など、ここから巣立ったデザイナーたちは、ヨーロッパ中で流行を作り出し、生み出した。

サヴィル・ロウの歴史を語る上で、もうひとつセンセーショナルな事件がある。それは、ビートルズの登場だ!彼らが設立したアップル本社はサヴィル・ロウ3番地にあり、名曲「Get Back」のレコーディングをここで行った。アルバム「アビーロード」のジャケットで着ているスーツは、サヴィル・ロウに由来。さらに、1969年1月30日ビートルズ最後のライブが行われた最後の場所でもあった。この流れこそがサヴィル・ロウを古典的なイメージを脱却し、ファッション、ライフスタイルにおいて流行を生み出すストリートへと変化したのだ。

スーツは、男女どちらかのための洋服ではなく、軍服として生まれ、フォーマルウェアにまで発展し、今やデニムともコーディネートできる優れたアイテムとなった。そしてあらゆるシーンにおいて、ワードローブやコーディネートの一つとしてテーラードスーツがいつも必要とされている。これは、歴史であり文化なのだ。サヴィル・ロウ。テーラードスーツの聖地を、世界は追い求め続ける。

Backnumber

ロンドン・ファッション・ウィークに登場するセレブリティたちの着こなしで際立っていたのがジャケットスタイル。

サヴィル・ロウは、1965年、ロンドンのバーリントン地区開発の際に作られた通りの名称。


サリーム・ダロンヴィル

70年代以降の英国ファッションシーン全ての目撃者であり、日本のファッション業界に深く精通している英国人。英国マンチェスター大学でファッションデザインを学ぶ。マルベリー社、マッキントッシュ社においてクリエイティブ・ディレクターを歴任。その後、英国貿易産業省(DTI)にてエクスポート・プロモーターとして数多くの英国人デザイナーやブランドの日本進出をサポートした。