日本に親しみをもつ英国人のアーティストは多い。ロンドンと東京のファッションや文化の変遷に共通項が多いこともあるが、ニュージェネレーションが生み出す新たな発想に注目をしているからでもある。それは、アンダーグラウンドシーンから新たなムーブメントが起こった、70年代のロンドンを彷彿とさせる。世間を揺るがすファッション界のDIVAの衝撃的な登場のように・・・。
ヴィヴィアン・ウエストウッドは、70年代に過激で挑発的なパンクファッションを発表し、世間から批判的な眼差しを向けられていた。ヴィヴィアンは、マルコム・マクラーレンとともに、ロンドンに「レット・イット・ロック」を立ち上げた。後に、Sex Pistols(セックス・ピストルズ)のファッションを手掛け、「パンクの女王」と言われる。マイナスイメージでとらえられがちだが、英国のパンクバンドのファッションをプロデュースした英国初のデザイナーなのだ。
私がヴィヴィアンと親しくなったのは、70年代後半。お互いにキングスロードにショップがあったので毎日のように行き来していた。私は「ヴィレッジ・ゲート」というメンズウェアを扱うショップのデザイナー兼バイヤーであり、彼女は「ワールズ・エンド」というお店を構えていた。話をすればするほど、彼女の本質は世間が評するものとは異なることを知る。風貌やそのクリエイティブから、クレイジーやラディカルと評されることが多いヴィヴィアン。だが、素顔のヴィヴィアンはいたってノーマルで、繊細で聡明な女性である。また、独創的な発想をもち「すべてこうあるべき」という固定観念に彼女に、こちらは驚きの連続。だがとても刺激的だ。例えば、「どうして、時計は右回りでなくてはいけないの?」「ノイズが騒音と決めつけてはいけないわ」など、常に線引きすることなく自由な視点で物事を捉えている。これはとても素晴らしいことだ!
そんなヴィヴィアンが好きな音楽は、モーツァルトやヴィヴァルディのようなクラシック音楽。知識も豊富で、スケジュールをやりくりして、ロンドンだけではなく、オーストリア、ベニスなどのクラシックのコンサートにも出かける。
そしてプライベートなことだが、実は彼女はグランマ。信じられないが息子と孫がいる。とがったイメージではなく、母性が垣間見えるのは母としての優しさがあふれているからだろう。日頃彼女は、ロンドンの街中を颯爽と自転車に乗っていたりもするし、一緒に働くスタッフのために、ランチを作ってごちそうすることもある。スタッフや友人に対しても気遣いするといった一面も。
こういったヴィヴィアンの素顔を垣間見ることで、実は彼女が生み出すアイテムがきちんと計算されたものだということに気づく。ファッションがビジネスであることを心得ており、メッセージを発信する手段であることも考えている。
キューブリックの映画「時計じかけのオレンジ」のように、モダンなテイストとクラシカルなものを自分自身でうまくリミックスできる彼女は、まさにファッション界のDIVAといえるであろう。
昨年、六本木ヒルズにある森アーツセンターギャラリーにて彼女の服飾の歴史的な展覧会「ヴィヴィアン・ウエストウッド展」が開催された。ロンドンの「Victoria and Albert Museum」によって企画構成された世界巡回展では、ヴィヴィアンの目からみた近代的なイギリスのファッションの歴史の良いアイディアが詰まっていた。クラシックとモダンの間で戦うデザイナーたちは、クラシックなものを尊重しながらモダンブリティッシュスタイルを確立してきた。その証拠に、ヴィヴィアンが使用するタータンチェックやツイードは、とても伝統的な素材を彼女のテイストでモダンにアレンジしているのである。
ヴィヴィアン・ウエストウッド プロフィール
Vivienne Westwood
1941年4月8日生まれ。1971年、ロンドン・キングスロードに「Let It Rock」をオープン。70年代後半には、セックス・ピストルズの衣装を手掛け、そのスタイルが後のパンクファッションを決定づける。以降、ストリートからモードへと転身し、歴史的衣装をリバイバルしたコレクションや英国の古典的服飾技法に拠ったコレクションなどを次々と発表し、世界的なファッションデザイナーとして確固たる地位を築く。現在では、"オートクチュールとも呼べる高度なテクニックに裏付けられた服作り"と高く評価されるフェミニンでエレガントな作品を発表。トレンドに全く惑わされることなく、革新的な創造性と奔放なイマジネーションでファッション界に驚きをもたらし続け、またその潮流に多大な影響を与えつづけている。

ヴィヴィアン・ウエストウッドは、英国のパンクバンドのファッションをプロデュースした英国初のデザイナーなのだ。

Sex Pistols(セックス・ピストルズ)のファッションを手掛け、「パンクの女王」と言われる。
70年代以降の英国ファッションシーン全ての目撃者であり、日本のファッション業界に深く精通している英国人。英国マンチェスター大学でファッションデザインを学ぶ。マルベリー社、マッキントッシュ社においてクリエイティブ・ディレクターを歴任。その後、英国貿易産業省(DTI)にてエクスポート・プロモーターとして数多くの英国人デザイナーやブランドの日本進出をサポートした。
日本に親しみをもつ英国人のアーティストは多い。ロンドンと東京のファッションや文化の変遷に共通項が多いこともあるが、ニュージェネレーションが生み出す新たな発想に注目をしているからでもある。それは、アンダーグラウンドシーンから新たなムーブメントが起こった、70年代のロンドンを彷彿とさせる。世間を揺るがすファッション界のDIVAの衝撃的な登場のように・・・。
ヴィヴィアン・ウエストウッドは、70年代に過激で挑発的なパンクファッションを発表し、世間から批判的な眼差しを向けられていた。ヴィヴィアンは、マルコム・マクラーレンとともに、ロンドンに「レット・イット・ロック」を立ち上げた。後に、Sex Pistols(セックス・ピストルズ)のファッションを手掛け、「パンクの女王」と言われる。マイナスイメージでとらえられがちだが、英国のパンクバンドのファッションをプロデュースした英国初のデザイナーなのだ。
私がヴィヴィアンと親しくなったのは、70年代後半。お互いにキングスロードにショップがあったので毎日のように行き来していた。私は「ヴィレッジ・ゲート」というメンズウェアを扱うショップのデザイナー兼バイヤーであり、彼女は「ワールズ・エンド」というお店を構えていた。話をすればするほど、彼女の本質は世間が評するものとは異なることを知る。風貌やそのクリエイティブから、クレイジーやラディカルと評されることが多いヴィヴィアン。だが、素顔のヴィヴィアンはいたってノーマルで、繊細で聡明な女性である。また、独創的な発想をもち「すべてこうあるべき」という固定観念に彼女に、こちらは驚きの連続。だがとても刺激的だ。例えば、「どうして、時計は右回りでなくてはいけないの?」「ノイズが騒音と決めつけてはいけないわ」など、常に線引きすることなく自由な視点で物事を捉えている。これはとても素晴らしいことだ!
そんなヴィヴィアンが好きな音楽は、モーツァルトやヴィヴァルディのようなクラシック音楽。知識も豊富で、スケジュールをやりくりして、ロンドンだけではなく、オーストリア、ベニスなどのクラシックのコンサートにも出かける。
そしてプライベートなことだが、実は彼女はグランマ。信じられないが息子と孫がいる。とがったイメージではなく、母性が垣間見えるのは母としての優しさがあふれているからだろう。日頃彼女は、ロンドンの街中を颯爽と自転車に乗っていたりもするし、一緒に働くスタッフのために、ランチを作ってごちそうすることもある。スタッフや友人に対しても気遣いするといった一面も。
こういったヴィヴィアンの素顔を垣間見ることで、実は彼女が生み出すアイテムがきちんと計算されたものだということに気づく。ファッションがビジネスであることを心得ており、メッセージを発信する手段であることも考えている。
キューブリックの映画「時計じかけのオレンジ」のように、モダンなテイストとクラシカルなものを自分自身でうまくリミックスできる彼女は、まさにファッション界のDIVAといえるであろう。
昨年、六本木ヒルズにある森アーツセンターギャラリーにて彼女の服飾の歴史的な展覧会「ヴィヴィアン・ウエストウッド展」が開催された。ロンドンの「Victoria and Albert Museum」によって企画構成された世界巡回展では、ヴィヴィアンの目からみた近代的なイギリスのファッションの歴史の良いアイディアが詰まっていた。クラシックとモダンの間で戦うデザイナーたちは、クラシックなものを尊重しながらモダンブリティッシュスタイルを確立してきた。その証拠に、ヴィヴィアンが使用するタータンチェックやツイードは、とても伝統的な素材を彼女のテイストでモダンにアレンジしているのである。
ヴィヴィアン・ウエストウッド プロフィール
Vivienne Westwood
1941年4月8日生まれ。1971年、ロンドン・キングスロードに「Let It Rock」をオープン。70年代後半には、セックス・ピストルズの衣装を手掛け、そのスタイルが後のパンクファッションを決定づける。以降、ストリートからモードへと転身し、歴史的衣装をリバイバルしたコレクションや英国の古典的服飾技法に拠ったコレクションなどを次々と発表し、世界的なファッションデザイナーとして確固たる地位を築く。現在では、"オートクチュールとも呼べる高度なテクニックに裏付けられた服作り"と高く評価されるフェミニンでエレガントな作品を発表。トレンドに全く惑わされることなく、革新的な創造性と奔放なイマジネーションでファッション界に驚きをもたらし続け、またその潮流に多大な影響を与えつづけている。

ヴィヴィアン・ウエストウッドは、英国のパンクバンドのファッションをプロデュースした英国初のデザイナーなのだ。

Sex Pistols(セックス・ピストルズ)のファッションを手掛け、「パンクの女王」と言われる。
70年代以降の英国ファッションシーン全ての目撃者であり、日本のファッション業界に深く精通している英国人。英国マンチェスター大学でファッションデザインを学ぶ。マルベリー社、マッキントッシュ社においてクリエイティブ・ディレクターを歴任。その後、英国貿易産業省(DTI)にてエクスポート・プロモーターとして数多くの英国人デザイナーやブランドの日本進出をサポートした。