ブリティッシュモダンというスタイルが定着し、昨今の日本のファッション誌ではブリティッシュモダンをテーマにした特集が組まれることも多い。めまぐるしく街や流行が変化する東京で、ブリティッシュモダンが浸透しつつあるのは私にとって、とても興味深いこと。なぜならば、9年前の東京で驚くべき風景を目にしたからである。渋谷や原宿にはダッフルコートを着た若者たちで溢れ「みんなが着ているから」という理由で単一のコートを着ていた時代があったからだ。その裏には、右へならえという日本的な発想が根底にあるのだろう。しかし、現在では同じコートが街を埋めつくすことはない。「なぜ、ダッフルコートを着るの? 他のもあるでしょ」という発想が生まれてきたのだ。
これと同じような流れが、70年代のロンドンでも起きていた。ロンドンでのファッションや文化の似たような変遷が、東京で起こっているとは思いもよらなかった。西洋と東洋の文化がリミックスされる「東京」で、モダンブリティッシュの背景について思いを馳せていたら、ある一人の友人が、ORIHICA表参道を訪ねてきた。
その名は、セバスチャン・コンラン。プロダクトデザイナーである彼は、デザインや建築の分野では特出すべき存在で、日本でも六本木ヒルズクラブなどのインテリアをはじめ、わずか45分で完売した「Conran Nissan Cube」という日産自動車のキューブ特別車をデザインしたりなど活躍は多岐にわたる。ファミリーネームのコンランでおわかりのように、コンランショップオーナーのテレンスコンラン卿は、彼の父である。
彼がORIHICA表参道店の扉を開いたのは、昨年11月3日のことだった。ショップの雰囲気やディスプレイを眺めていた彼が突然、「オー、アンビリーバブル!」と言いながらはしゃいだ。彼の目に留まったのは、フィッティングルームに張ってあるSex Pistols(セックス・ピストルズ)のポスターだった。約30年前のロンドンでのファーストコンサートを手掛けていたことを誇らしげに話してくれた。また、Klein Dytham(クライン・ダイサム)によるインテリアデザインのコンセプトを気に入ってくれて、「居心地のよい小さな空間でよくデザインされている」との言葉をもらい私は感激した。ありきたりのディスプレイではなく、ORIHICAの空間にファッション、音楽、アートなどが融合していることをわかってくれたのだ。それは、彼のものづくりの哲学にも共通している。
私たちは、ロンドンで生まれ育ち、学校こそ違うが同じような環境の下で、彼はデザインを、私はファッションを学んだ。モダンとクラシカルな要素を取り入れて新たなクリエイティブを生み出すること、すなわち相反するものを一つにまとめあげるという感覚が私たちはとても似ている。そして二人を繋ぐキーワードは "和"。日本と英国のエッセンスを融合させるという意味の"和"でということだが、ロンドンから約1万マイル離れた都市、東京で2つの異なる文化をリミックスすることは、新たな世界を作るにふさわしい。
ロンドンと東京は、ライフスタイルだけではなく、ビジネスや思想、社会的背景など共通する部分が多い。英国のアーティストが、アメリカや東ヨーロッパではなく、東京をターゲットにして活動することは、私の根底に根付くものと同じである。
次回は、セバスチャンと私の古くからの友人でもあり、モダンブリティッシュに一石を投じた英国のDIVA、ヴィヴィアン・ウエストウッドについて話そう。
セバスチャン・コンラン プロフィール
1974年セントラル・セイント・マーティン校のインダストリアル・デザイン・エンジニアリング学科を学んだのち、英国のパックロックバンド「The Clash」のレコードジャケットやポスターのデザインを手掛ける。1979年ブランディング会社の大手ウルフ・オリンズでデザイン・ディレクターとして勤めた後、1982年マザーケアのシニア・ディベロプメント・エグゼクティブに。1986年に立ち上げたセバスチャン・コンラン・アソシエイツは、 1999年コンラン・パートナーズの傘下となり、現在、プロダクトとグラフィック部門のクリエイティブ・ディレクターとして活躍している。

セバスチャン・コンラン。プロダクトデザイナーである彼は、デザインや建築の分野では特出すべき存在。
70年代以降の英国ファッションシーン全ての目撃者であり、日本のファッション業界に深く精通している英国人。英国マンチェスター大学でファッションデザインを学ぶ。マルベリー社、マッキントッシュ社においてクリエイティブ・ディレクターを歴任。その後、英国貿易産業省(DTI)にてエクスポート・プロモーターとして数多くの英国人デザイナーやブランドの日本進出をサポートした。
ブリティッシュモダンというスタイルが定着し、昨今の日本のファッション誌ではブリティッシュモダンをテーマにした特集が組まれることも多い。めまぐるしく街や流行が変化する東京で、ブリティッシュモダンが浸透しつつあるのは私にとって、とても興味深いこと。なぜならば、9年前の東京で驚くべき風景を目にしたからである。渋谷や原宿にはダッフルコートを着た若者たちで溢れ「みんなが着ているから」という理由で単一のコートを着ていた時代があったからだ。その裏には、右へならえという日本的な発想が根底にあるのだろう。しかし、現在では同じコートが街を埋めつくすことはない。「なぜ、ダッフルコートを着るの? 他のもあるでしょ」という発想が生まれてきたのだ。
これと同じような流れが、70年代のロンドンでも起きていた。ロンドンでのファッションや文化の似たような変遷が、東京で起こっているとは思いもよらなかった。西洋と東洋の文化がリミックスされる「東京」で、モダンブリティッシュの背景について思いを馳せていたら、ある一人の友人が、ORIHICA表参道を訪ねてきた。
その名は、セバスチャン・コンラン。プロダクトデザイナーである彼は、デザインや建築の分野では特出すべき存在で、日本でも六本木ヒルズクラブなどのインテリアをはじめ、わずか45分で完売した「Conran Nissan Cube」という日産自動車のキューブ特別車をデザインしたりなど活躍は多岐にわたる。ファミリーネームのコンランでおわかりのように、コンランショップオーナーのテレンスコンラン卿は、彼の父である。
彼がORIHICA表参道店の扉を開いたのは、昨年11月3日のことだった。ショップの雰囲気やディスプレイを眺めていた彼が突然、「オー、アンビリーバブル!」と言いながらはしゃいだ。彼の目に留まったのは、フィッティングルームに張ってあるSex Pistols(セックス・ピストルズ)のポスターだった。約30年前のロンドンでのファーストコンサートを手掛けていたことを誇らしげに話してくれた。また、Klein Dytham(クライン・ダイサム)によるインテリアデザインのコンセプトを気に入ってくれて、「居心地のよい小さな空間でよくデザインされている」との言葉をもらい私は感激した。ありきたりのディスプレイではなく、ORIHICAの空間にファッション、音楽、アートなどが融合していることをわかってくれたのだ。それは、彼のものづくりの哲学にも共通している。
私たちは、ロンドンで生まれ育ち、学校こそ違うが同じような環境の下で、彼はデザインを、私はファッションを学んだ。モダンとクラシカルな要素を取り入れて新たなクリエイティブを生み出すること、すなわち相反するものを一つにまとめあげるという感覚が私たちはとても似ている。そして二人を繋ぐキーワードは "和"。日本と英国のエッセンスを融合させるという意味の"和"でということだが、ロンドンから約1万マイル離れた都市、東京で2つの異なる文化をリミックスすることは、新たな世界を作るにふさわしい。
ロンドンと東京は、ライフスタイルだけではなく、ビジネスや思想、社会的背景など共通する部分が多い。英国のアーティストが、アメリカや東ヨーロッパではなく、東京をターゲットにして活動することは、私の根底に根付くものと同じである。
次回は、セバスチャンと私の古くからの友人でもあり、モダンブリティッシュに一石を投じた英国のDIVA、ヴィヴィアン・ウエストウッドについて話そう。
セバスチャン・コンラン プロフィール
1974年セントラル・セイント・マーティン校のインダストリアル・デザイン・エンジニアリング学科を学んだのち、英国のパックロックバンド「The Clash」のレコードジャケットやポスターのデザインを手掛ける。1979年ブランディング会社の大手ウルフ・オリンズでデザイン・ディレクターとして勤めた後、1982年マザーケアのシニア・ディベロプメント・エグゼクティブに。1986年に立ち上げたセバスチャン・コンラン・アソシエイツは、 1999年コンラン・パートナーズの傘下となり、現在、プロダクトとグラフィック部門のクリエイティブ・ディレクターとして活躍している。

セバスチャン・コンラン。プロダクトデザイナーである彼は、デザインや建築の分野では特出すべき存在。
70年代以降の英国ファッションシーン全ての目撃者であり、日本のファッション業界に深く精通している英国人。英国マンチェスター大学でファッションデザインを学ぶ。マルベリー社、マッキントッシュ社においてクリエイティブ・ディレクターを歴任。その後、英国貿易産業省(DTI)にてエクスポート・プロモーターとして数多くの英国人デザイナーやブランドの日本進出をサポートした。